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病気の恩恵と東洋思想

2022年12月 4日

先日来院された患者さんが診察室でノートを取り出し、
「前回、先生が出してくれた課題に取り組んでみました。『病気の恩恵』リストです。」
と仰り、そのノートを見せてくださいました。
そのノートにはこのようなことが書かれていました。

  • 家族のありがたさに改めて気がついた
  • 人生の優先順位が変わった
  • 本当に大切な友人が誰かわかった
  • 体の声を聞くようになった
  • 自分の限界を知ることができた

前回の診察でこの方は、自分がこれまでいろいろな病院で治療をしてきたがなかなか良くならないような病気になってしまったことを後悔し、病気により奪われた様々なことに囚われて非常に苦しんでいらっしゃいました。

そんな視点から病気を捉えていた患者さんに私が提案したことが「病の恩恵リスト」の作成でした。

この方においても病により奪われ、失ったものは少なくないかもしれません。しかし少し視点を変えて、病を経験して得たものはなかったか一度考えてみませんかと提案してみたのです。
西洋的な二元論によれば、病気は悪いものであり、取り除くべき対象となります。もしそれを克服できないのであれば救いは一切ありません。

しかし、私たちはこの世に生を受けた以上、生老病死(生きる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死を迎える苦しみ)を避けて通るわけにはいきません。

二元論的思考に基づく現代の医療の現場では、常に「忌み嫌うべき」「取り除くべき」「悪である」病気や症状と「闘う」ということが行われるのです。
しかし、これは病気の一面的な部分しか見ていないのではないでしょうか?
かつて河合隼雄先生はこう仰っていました。

正確な言葉は忘れましたがおおよそこのような内容だったかと思います。

「その人が病気を得て、悩み葛藤し、その経験を通して非常に創造的なことを成すに至ることがある。医療者は患者の病気だけを見るのではなく、どうしたらその人が病気を自分の人生に意味づけ、「創造的な病;creative illness」に昇華するのをサポートできるのか、考えていく必要がある」

そう考えると病気は必ずしもネガティブな側面しか持たないということはないことに気づきます。それどころかむしろ、病気を与えられたからこそ得た視点や気づき、あるいはたましいレベルの成長ということだってあり得るのです。

私たちの体(無意識)はある意味非常に正直で、自分ではない何者かになろうと無理をしていると、そのうち様々不調としてなメッセージを送り始めます。それに耳を傾けて対処できるといいのですが、さらに頑張って無理をしてしまうともっと大きな症状や病気として私たちを気づかせようとします。つまり病気は本来私たちの体(無意識)が欲求していたことが何だったのかを教えてくれているのです。

西洋的二元論のおかげで救える命が増えたことは間違い無いでしょう。しかしその思考の先には「病気や死は敗北」という観念がある以上、人々の根本的な不安を軽減させることにはさほど貢献してこなかったのではないでしょうか。

目には見える病気の生物学的、物質的な側面やデータだけを扱うのではなく、目には見えない世界をも扱う東洋思想とも通づるを量子論は、近年病気の捉え方や死生観、さらには私たちの意識の成り立ちにも大きな影響を与えつつあります。
病気は必ずしも「悪」とは限らず、「善も悪も絶対的ではない」と説く東洋思想も、これからの医療の現場には必要なのではないでしょうか。

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